原玄春とは? わかりやすく解説

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原玄春

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/06 08:33 UTC 版)

原 玄春(はら げんしゅん、1816年文化13年〉 - 1882年明治15年〉6月29日)は、江戸時代から明治時代医師教育者画家槐山、または、里山。父は吉益家門人ののち、華岡青洲春林軒門人であった医師で教育者の原右膳、息子は医師で書家原貞齋

経歴

原家は京都が出自の医者の家系であり、飯田を経て、江戸時代から遠江国周智郡領家村水久保(現・静岡県浜松市天竜区水窪町)で開業していた。父・原右膳が修めた華岡流外科医術と寺子屋を継ぎ、医者として活躍し、また、画家としても日本画花鳥画屏風巻物を制作した。原玄春塾を開いて学問を教え、俳人を育てた。

息子の原貞齋も医師として1879年〈明治12年〉12月1日に周智郡奥山村奥領家(水窪町)で開業し、医療と教育で地域に貢献しながら、書家としても作品を残した。孫の原祐太郎と原正雄らが静岡県で医家を継ぎ、医者に育てた養子を曾孫・原とよの婿養子にして北海道にて開業した。

1991年7月28日水窪町民俗資料館5周年「郷土ゆかりの書画展」では、原玄春(槐山、または里山)の鮮やかな花鳥画の屏風や巻物が、原貞齋(晩翠)の書家作品と共に展示された。

参考文献

  • 『明治肖像録 改訂』田中彦次郎 編、帝国史会、明31年11月(漢籍を指導したことが書いてある)
  • 竜丘村誌』竜丘村誌編纂委員会 編、甲陽書房、1968年
  • 『漢方の臨床 18』東亜医学協会、1971年5月
  • 妹尾久造編『大日本紳士鑑』経済会、1895年(明治28年)4月
  • 西村左門編『静岡県人肖像録』柴合名会社蔵版、1907年(明治40年)12月
  • 『ひとすじの道 郷土の発展につくした人々』水窪町教育委員会
  • 『水窪町史 上』・『水窪町史 下』水窪町史編さん委員会、1983年8月
  • 『水窪町沿革誌』
  • 『静岡県の医史と医家伝』土屋重朗、戸田書店、1973年1月1日
  • 『静岡県姓氏家系大辞典』静岡県姓氏家系大辞典編纂委員会
  • 『静岡県歴史人物事典』静岡新聞社出版局、1991年12月1日
  • 『吉益家門人録(写本)』(呉秀三文庫、東京大学医学図書館)
  • 『華岡青洲』那賀町華岡青洲をたたえる会、1972年6月
  • 『華岡青洲及其外科』
  • 『華岡青洲先生門人姓名録 全』
  • 『華岡青洲先生春林軒門人録』
  • 『華岡家所蔵 門人録』
  • 『華岡門人録』
  • 『華岡氏門人姓名録』
  • 『華岡塾中姓名録』
  • 『華岡鹿城末裔所蔵 華岡門人録』
  • 『静岡新聞』1991年7月26日、「水窪町民俗資料館会館 ゆかりの書画集め 槐山、六鵬、折口信夫 5周年祝い記念展」
  • 『静岡新聞』1991年7月31日、「水窪町民俗資料館会館 5周年記念展にぎわう 原槐山のびょうぶなど30点に見入る来場者」

関連項目

外部リンク




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