原貞齋とは? わかりやすく解説

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原貞齋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/06 08:33 UTC 版)

原 貞齋(はら ていさい、1847年1月1日弘化3年11月15日〉 - 1937年昭和12年〉11月2日)は、明治時代から昭和の医師教育者書家晩翠。祖父は吉益家門人ののち、華岡青洲春林軒門人であった医師で教育者の原右膳、父は医師で画家原玄春

経歴

原家は京都が出自の医者の家系であり、飯田を経て、江戸時代から遠江国周智郡領家村水久保(現在の浜松市天竜区水窪町)で開業していた。祖父・原右膳は華岡流外科医術を学んだ外科医であり寺子屋も開いていたが、父・原玄春も医業と寺子屋を継いだ。

原貞齋も医師として1879年〈明治12年〉12月1日に周智郡奥山村奥領家(水窪町)で開業し、医療と教育で地域に貢献しながら、書家としても作品を残した。 長男・原祐太郎と次男・原正雄らが静岡県で医家を継ぎ、医者に育てた養子を孫・原とよの婿養子にして北海道にて開業した。

1991年7月28日水窪町民俗資料館5周年「郷土ゆかりの書画展」では、原貞齋(晩翠)の書家作品は、原玄春(槐山、または里山)の鮮やかな花鳥画の屏風や巻物と共に展示された。

参考文献

  • 妹尾久造編『大日本紳士鑑』経済会、1895年(明治28年)4月
  • 西村左門編『静岡県人肖像録』柴合名会社蔵版、1907年(明治40年)12月
  • 『ひとすじの道 郷土の発展につくした人々』水窪町教育委員会
  • 『水窪町史 上』・『水窪町史 下』水窪町史編さん委員会、1983年8月
  • 『水窪町沿革誌』
  • 『静岡県の医史と医家伝』土屋重朗、戸田書店、1973年1月1日
  • 『静岡県姓氏家系大辞典』静岡県姓氏家系大辞典編纂委員会
  • 『静岡県歴史人物事典』静岡新聞社出版局、1991年12月1日
  • 『吉益家門人録(写本)』(呉秀三文庫、東京大学医学図書館)
  • 『華岡青洲』那賀町華岡青洲をたたえる会、1972年6月
  • 『華岡青洲及其外科』
  • 『華岡青洲先生門人姓名録 全』
  • 『華岡青洲先生春林軒門人録』
  • 『華岡家所蔵 門人録』
  • 『華岡門人録』
  • 『華岡氏門人姓名録』
  • 『華岡塾中姓名録』
  • 『華岡鹿城末裔所蔵 華岡門人録』
  • 『静岡新聞』1991年7月26日、「水窪町民俗資料館 ゆかりの書画集め 槐山、六鵬、折口信夫 5周年祝い記念展」
  • 『静岡新聞』1991年7月31日、「水窪町民俗資料館 5周年記念展にぎわう 原槐山のびょうぶなど30点に見入る来場者」

関連項目

外部リンク




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