原子力利用に対する見解
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/28 03:39 UTC 版)
西脇は第五福竜丸の被害を明らかにし、反核運動が高まる契機を作った。しかし、その一方で原子力の平和的利用には寛容であった。 東海発電所の原子炉について、1959年7月31日の原子力委員会公聴会において、西脇は「英国の事故や米国の想定データに基づけば、周辺の住民に大きな影響はない」と発言した。これに対して、物理学者の藤本陽一は「西脇の原発事故で発生する放射能の評価は低すぎる」と批判した。 1963年1月、アメリカ海軍の原子力潜水艦を日本の港へ寄港させる計画が明らかとなった。これについて西脇は「原子力潜水艦は堅固につくられており、平常時に放出される放射性物質も微量であるので危険性は少ない」と発言した。寄港に反対する湯川秀樹や藤本陽一らはこの発言を批判した。 西脇は近畿大学原子炉 (UTR)の設置を総長に進言、京都大学研究用原子炉 (KUR)の設置にあたり住民の理解を得るための活動をするなど原子力利用を推進した。
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