即身仏‐鉄門海上人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/02 00:06 UTC 版)
注連寺には鉄門海上人(恵眼院鉄門海上人)の即身仏(ミイラ)が厨子に納められており、公開されている。山形県内には庄内地方を中心に8体もの即身仏が安置されているが、そのうちの5体が注連寺系とされる鉄門海上人は1768年(明和5年)鶴岡市の出身で、25歳の時に注連寺第69世の寛能和尚の弟子となり「鉄門海(「海」は空海の海)」の名を戴き一世行人となった。上人の足跡は北は北海道から南は四国にまで及び湯殿山信仰の布教に大きな業績を残した。3000日にもおよぶ苦行を経て弘法大師空海と同一年齢の数え62歳で即身仏になったと伝えられる。この年齢以外の即身仏は伝染病の流行や飢饉などが発生した折、民衆の苦しみの救済を祈願し彼らの苦しみに成り代わって自ら即身仏になったといわれる。
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