即位、秘密国家会議のもとでの治世
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「フェルディナント1世 (オーストリア皇帝)」の記事における「即位、秘密国家会議のもとでの治世」の解説
1835年3月2日、父帝の崩御によってオーストリア帝位に即いた。1836年9月7日にプラハにおいてボヘミア国王として、1838年9月6日にはミラノにおいてロンバルド=ヴェネト国王としての戴冠式を挙行した。 メッテルニヒは病弱なフェルディナント1世を補佐する機関として、新帝の叔父ルートヴィヒ大公(ドイツ語版)、フランツ・アントン・フォン・コロヴラート=リープシュタインスキー(ドイツ語版)伯爵、新帝の弟フランツ・カール大公と自身の4人からなる秘密国家会議(ドイツ語版)を設置した。会議を牛耳る宰相メッテルニヒが次々と差し出す書類に署名することが、フェルディナント1世の統治の全てだった。
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