医学から軍学・工学へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/14 08:04 UTC 版)
父も学んだ閑谷学校で5年間、漢学、儒学、漢方医学を学ぶ。嘉永2年(1849年)、上郡に帰郷し、蘭方医・中島意庵の助手となる(この頃名を圭介と改める)。嘉永5年(1852年)5月2日、蘭学修行の為、上坂して緒方洪庵の適塾で蘭学と西洋医学を学んだ後、安政元年(1854年)に適塾時代の仲間と共に江戸に出る。薩摩藩の知遇を得て翻訳などの手伝いをした後、坪井塾で塾頭となり、軍学、工学に関心が移るようになる。この間、西洋式兵学や写真術を学び、同時期に勝海舟の知遇を得る。
※この「医学から軍学・工学へ」の解説は、「大鳥圭介」の解説の一部です。
「医学から軍学・工学へ」を含む「大鳥圭介」の記事については、「大鳥圭介」の概要を参照ください。
- 医学から軍学工学へのページへのリンク