北西インディアン戦争での従軍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/09 05:44 UTC 版)
「ジョージ・マディソン」の記事における「北西インディアン戦争での従軍」の解説
マディソンは北西インディアン戦争のときにケンタッキー州民兵隊に加入した。1791年11月4日に起きたウォバシュの戦いでアメリカ軍が敗北したときは、セントクレア軍の准大尉だった。戦闘後に撤退しているとき、ウィリアム・ケナンという兵士が、丸太の上に座っているマディソンを見つけた。ケナンはインディアンに追われており、マディソンにも走るよう促したが、マディソンは既に危ない状況にあることを認識しており、立ち上がって重傷を負い多量に血を流していることを示した。ケナンはそれ以前に見ていた乗り手のいない馬を探してきて、マディソンを馬に乗せ、二人で脱出した。 この戦争の後半、マディソンはジョン・アデア少佐(後のケンタッキー州知事)の下に仕えた。1792年11月5日、アデアの部隊がセントクレア砦の近くで宿営しているときに、リトル・タートル酋長が指揮するインディアン部隊に襲撃された。アデアは撤退を命じ、兵士を集めて3つの集団に分けた。マディソンが指揮した集団には敵の側面に向かうよう命じたが、これがうまくいかず、マディソンは再度負傷した。その後アデアはセントクレア砦に撤退した。アデアがジェイムズ・ウィルキンソン准将に提出した報告書では、「マディソンの勇敢さと行動にはコメントのしようがない。それは良く知られている」と記していた。
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