北区のうたとは? わかりやすく解説

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北区のうた

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/24 08:57 UTC 版)

北区のうた

区歌の対象
北区 (東京都)

作詞 井関謙
作曲 團伊玖磨
採用時期 1990年1月28日[1]
言語 日本語
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北区のうた」(きたくのうた)は、東京都北区が制定した区歌である。作詞・井関謙、作曲・團伊玖磨

解説

北区では1952年(昭和27年)頃に北区新聞社が選定した「北区音頭」がキングレコードから[2]、1987年(昭和62年)にはご当地ソングとして「ふるさと北区」のレコードミノルフォンからそれぞれ発売されているが、いずれも区が制定に関わったものではなく昭和年間に公式の区歌は作成されなかった。

王子区滝野川区の合併により北区が発足してから40周年となる1987年(昭和62年)以降、区歌の必要性が提唱されたことから北区役所では1988年(昭和63年)に「人のふれあい、郷土意識の高揚、ふるさと意識を培うこと」を制定意義として区歌歌詞選定委員会を組織し、懸賞募集を開始する[1]。応募総数は162篇で、作曲は区から専業の團伊玖磨に依頼された[1]。制定日は1990年(平成2年)1月28日付で[1]、23特別区では22番目[注 1]、また平成年間に制定された区歌としては前年の練馬区わが街・練馬」に次いで北区が2番目であった[注 2]

北区役所では区歌の演奏機会について「新年賀詞交換会などの区の事業や、区が依頼して行う行事等で使用している」とする[1]。また、2003年(平成15年)3月に区民体操として発表された「北区さくら体操」では「北区のうた」がBGMに使用されている[1][3]

参考文献

脚注

注釈

  1. ^ 2025年(令和7年)時点では江東区のみ歴代の区長が制定を拒否する姿勢を採り続けて来たこともあり、区歌が存在していない。
  2. ^ 中野区が2015年(平成27年)に1950年(昭和25年)制定の「中野区歌」を廃止して2代目の「未来カレンダー Forever Nakano」へ代替わりさせたので、北区の区歌制定は「平成最後」ではない。

出典

  1. ^ a b c d e f 中山(2012), p159
  2. ^ 北区音頭(CD)が入りました!”. 『北区の部屋だより』第46号, p10. 北区立中央図書館 (2013年5月). 2025年4月24日閲覧。
  3. ^ >北区さくら体操”. 北区役所 (東京都). 2025年4月24日閲覧。

関連項目

外部リンク




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