北伊勢・美濃方面の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 00:20 UTC 版)
「小牧・長久手の戦い」の記事における「北伊勢・美濃方面の戦い」の解説
長久手の戦いが行われていた4月9日、羽柴秀長が松ヶ島城を開城させ、城主の滝川雄利は浜田城(三重県四日市市)に移って籠城する。 また、森長可の死後に手薄となった東濃では、三河から徳川勢が侵攻し、4月17日には徳川家に居た遠山利景が旧領であった明知城を奪還している。 その後、羽柴勢は5月4日から尾張の加賀野井城、奥城、竹ヶ鼻城を囲み、水攻めなどで順次攻略したが、信雄・家康は後詰要請に応えず開城するように勧告し、6月10日に開城している(竹ヶ鼻城の水攻め)。 秀吉は6月13日に岐阜城に立ち寄り、6月28日に大坂城に戻った。これを受けて家康も小牧山城を酒井忠次に任せ、清州城に移っている。
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