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勝守すみ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/29 14:01 UTC 版)

勝守 すみ(かつもり すみ、1916年4月16日[1] - 1982年3月17日[2])は、日本歴史学者。専門は日本中世史。

経歴

富山県富山市生まれ。富山県立富山高等女学校[3]を経て、1937年奈良女子高等師範学校文科を卒業[3][4]し、金蘭会高等女学校教諭[3]1938年に富山市立富山高等女学校教諭[5]となる。1940年東京文理科大学入学[6]。国史学を専攻し、同期に津田秀夫らがいる[6]1942年に卒業[7]1943年群馬師範学校助教授を経て、1946年同校教授1951年群馬大学学芸学部講師となり、1953年助教授、1972年に同大学教育学部教授[1]

勤務地である群馬県の地域史研究に務め、関東長尾氏太田道灌の研究を進めた。

参考資料

  • 杉山博「勝守すみ氏を偲んで―弔辞より」『歴史手帖』第10巻第5号、名著出版、1982年、56-58頁、NCID AN00338842 
  • 群馬大学附属図書館 編『勝守すみ文庫目録 : 群馬大学附属図書館所蔵』群馬大学附属図書館〈群馬大学附属図書館所蔵資料シリーズ〉、1985年。全国書誌番号: 85062351 

脚注

  1. ^ a b 群馬大学附属図書館 1985
  2. ^ 杉山博 1982
  3. ^ a b c 奈良女子高等師範学校一覧 昭和12年度』奈良女子高等師範学校、1937年、282頁。 
  4. ^ 『官報』第3086号、昭和12年4月19日、p.575
  5. ^ 中等教科書協会 編『高等女学校女子実業学校職員録 昭和13年5月現在 第35版』中等教科書協会、1938年9月20日、318頁。NDLJP:1462071/187 
  6. ^ a b 『官報』第3971号、昭和15年4月4日、p.198.NDLJP:2960469/20
  7. ^ 『東京文理科大学・東京高等師範学校・東京第一臨時教員養成所一覧 昭和18年度』東京文理科大学、1943年9月10日、134頁。NDLJP:1451123/75 



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