功労馬時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/30 10:11 UTC 版)
種牡馬引退後は、北海道浦河町のうらかわ優駿ビレッジAERUにて功労馬となる。2007年4月21日、グランドオープン初日の東京競馬場のパドックにて、レガシーワールドとともに、東京優駿優勝時の馬服を着用してお披露目、翌22日には、場内ホースリンクにて放牧の様子を公開していた。2010年7月25日、函館競馬場のパドックにて、同じく馬服を着用してお披露目。ビワハヤヒデもお披露目されており、2頭は16年ぶりの再会となった。AERUでは、ニッポーテイオーやダイユウサク、ヒシマサルとともに繋養され、4頭が同じ放牧地で過ごす時期もあり、特にヒシマサルと仲が良かったと伝わる。ダイユウサクとニッポーテイオーの死を見送り、ヒシマサルが衰弱して以降は、高齢と怪我防止を理由に一頭で放牧されている。2021年8月18日にレガシーワールドが死亡したことで、生存する最年長のGI競走優勝馬となった。 1996年には、生まれ故郷の静内町(2006年より新ひだか町)の商店街にブロンズ像が建立された。2000年に破壊されて一時失うも、2004年に復元されている。
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