剣術流派における相討ちによる上達論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/11 18:27 UTC 版)
「相打ち」の記事における「剣術流派における相討ちによる上達論」の解説
無住心剣流の剣術家 針ヶ谷夕雲正成は、「禅の悟りの上において(中略)、互角の者には相討ちしかない。この相討ちを抜けたところに剣の奥義がある。「相抜」が我が流の極意である」と話した。この夕雲の奥義を極めた者の筆頭が小田切一雲(空純流)であり、「初心者は相討ちだけを考えよ。相討ちは十分の勝ち。ただし勝とうと思ってはならぬ、また負けまいと思ってもならぬ。勝負を忘れて、相手の剣の下へ無我無心で入れ。これにより上手には相討ち、下手には勝ちを得る。さらに修業をつみ重ねれば、上手にも勝ちを得るようになる」とし、迷わず相討ちをすれば、弱い者でも実力以上の力が働くと説いている。これは防具を身につけているからこそ可能な練習法であり、真剣での戦闘結果では、全く同じ打突などはありえず、日本拳法でもその点を説いている。
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