初期ABA時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/20 03:17 UTC 版)
「サンアントニオ・スパーズ」の記事における「初期ABA時代」の解説
現在のサンアントニオ・スパーズの原型となったチームは、1967年にNBAに対抗する形で発足したプロバスケットボールリーグABA創設と同時にリーグに加盟した11チームの内の1つ、ダラス・チャパラルズだった。チーム名のチャパラルはアメリカの野鳥ロードランナーの別名で、ウェスタン・ディビジョンに所属し、チームカラーは赤、白、青だった。初代のヘッドコーチは選手を兼任したクリフ・ヘイガンであった。60年代に観客動員数が伸び悩んだため、チャパラルズは1970-71シーズンにホーム戦をテキサス州内の数ヶ所、フォートワース、タラント、ラボック等で行ない、このシーズンのみテキサス・チャパラルズという名称を使ったが失敗に終わり、再びダラスに本拠地を移し、ダラス・チャパラルズに戻った。1973年にはサンアントニオの実業家に買い取られて同地に移転、チーム名を今日のサンアントニオ・スパーズと改めた。チームカラーも赤、白、黒だったものを銀、黒、白に変更した。*ABA時代のスパーズは成績の悪いシーズンは30勝以下、最も成績の良いシーズンで51勝33敗で優勝経験はなく、中堅程度の存在だった。この時期に、後に著名なNBAヘッドコーチとなるジョージ・カールが、ポイントガードプレーヤーとして所属していた。
※この「初期ABA時代」の解説は、「サンアントニオ・スパーズ」の解説の一部です。
「初期ABA時代」を含む「サンアントニオ・スパーズ」の記事については、「サンアントニオ・スパーズ」の概要を参照ください。
Weblioに収録されているすべての辞書から初期ABA時代を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
全ての辞書から初期ABA時代 を検索
- 初期ABA時代のページへのリンク