出生・札幌農学校時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 01:51 UTC 版)
「山下太郎 (アラビア石油)」の記事における「出生・札幌農学校時代」の解説
秋田県平鹿郡大森村(のち大森町、現・横手市)に近藤正治・みつ夫妻の長男として生まれる。太郎の祖父母にあたる山下太惣吉・ひさ夫妻の養子となり、山下姓を名乗る。祖父はまもなく死去し、祖母の手で育てられた。大森小学校4年を修了し、東京の実父母の元で慶應義塾普通部に通った。その後北海道帝国大学農学部(旧札幌農学校、現北海道大学)に入学、北海道に渡った。 北海道帝国大学時代、のちに北海道学芸大学(現北海道教育大学)および帯広畜産大学の学長を務めた農学者の田所哲太郎(秋田県能代の出身)と知り合い、親交を深めた。明治42年(1909年)3月、北海道帝国大学農芸学科を卒業。道産品のアメやバターの改良を手がけたりしながら、従兄の山下九助とともにオブラートの新しい製法を発明し、特許を得た。
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