内藤久寛
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内藤 久寛(ないとう ひさひろ、1859年8月20日(安政6年7月22日[1])- 1945年(昭和20年)1月29日[1])は、日本の実業家、政治家。衆議院議員、貴族院勅選議員。幼名・駒二郎、旧名・道二郎[2]。明治期の石油産業の開拓者であり、日本石油を設立し「日本の石油王」と呼ばれた[1]。
- ^ a b c d 『現代日本朝日人物事典』1126頁。
- ^ 『奮闘活歴血涙のあと』66頁。
- ^ a b c d e f 『日本の創業者』183頁。
- ^ a b 『奮闘活歴血涙のあと』67-68頁。
- ^ a b c d 『鉄道史人物事典』301頁。
- ^ 『奮闘活歴血涙のあと』89頁。
- ^ a b c 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』436頁。
- ^ 『新潟県県民百科事典』700頁。
- ^ a b 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』145頁。
- ^ 『官報』第3982号、大正14年12月2日。
- ^ 『朝日新聞』 1945年1月31日。
- ^ 牧野利平編『越佐人物誌 中巻』野島出版、1972年、655頁。
- ^ 人事興信録 第8版 ナ9
- ^ a b “山田工業株式会社へ感謝状を贈呈します”. 柏崎市 (2023年4月27日). 2023年5月23日閲覧。
- ^ a b “「日本の石油王」生家を一般公開、新潟柏崎市の企業が取得「次代につなげたい」 日本石油創業者の内藤久寛邸”. 新潟日報 (2023年5月21日). 2023年5月23日閲覧。
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