冀東防共自治政府での活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/31 05:02 UTC 版)
1935年(民国24年)、池宗墨は、河北省の薊密区行政督察専員公署秘書長に任ぜられた。同年11月に冀東防共自治委員会(翌月、冀東防共自治政府に改組)が成立すると、殷汝耕政務長官と同郷の誼からその秘書長に就いた。 1937年(民国26年)7月29日、通州事件が勃発、殷汝耕も反乱軍に一時捕らえられる事態が起きた。殷は混乱の中で辛うじて脱出、北平に逃げ込んだが、反乱軍との関係を日本軍に疑われて拘束されてしまう。そのため同月31日、公務で不在だったため難を逃れていた池宗墨が、政務長官代理に任命された。池は、通州事件の事後処理にあたり、また、政府所在地を通県から唐山に移した。
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