冀東政府による謝罪
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 13:53 UTC 版)
事件後、冀東政府は一時潰滅したが、8月9日になって殷汝耕に代わって池宗墨が政務長官に就任し、業務を開始した。 他方、国民党の冀察政務委員会は委員長宋哲元の逃亡後、8月20日に解散した。 1937年(昭和12年)12月22日、冀東政府政務長官の池宗墨と北京大使館の森島守人参事官とが会談し、冀東政府による謝罪と慰謝金、損害賠償120万円を交付し、事件は収束した。12月24日には両政府で公文交換が行われ、「冀東政府より森島参事官宛て書翰」では、事件関係者が処罰または逃亡したと説明された。
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