兼実の執政と南都復興とは? わかりやすく解説

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兼実の執政と南都復興

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 14:57 UTC 版)

建久七年の政変」の記事における「兼実の執政と南都復興」の解説

建久3年1192年3月13日後白河法皇崩御により関白九条兼実は、幼年後鳥羽天皇擁して名実ともに政治実権掌握した7月12日、兼実は初度朝政として源頼朝征夷大将軍宣下して関東との協調努め腹心で「九条殿のならびなき後見役」 と呼ばれた葉室宗頼後院別当とした。11月には、弟の慈円天台座主任じ延暦寺統制させて、政権基盤強化図った。兼実は治承・寿永の乱荒廃した南都復興に力を尽くし建久5年1194年)に藤原氏氏寺興福寺建久6年1195年)には鎮護国家象徴東大寺再建成し遂げて摂関家威信示した後鳥羽天皇も兼実の施政善政評価して御遊自粛するなど(『愚管抄』信頼寄せており、後白河院政下で「無執政」 と嘆いていた兼実にも、ようやく前途開けたかに見えた

※この「兼実の執政と南都復興」の解説は、「建久七年の政変」の解説の一部です。
「兼実の執政と南都復興」を含む「建久七年の政変」の記事については、「建久七年の政変」の概要を参照ください。

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