具鎔書とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 具鎔書の意味・解説 

具鎔書

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/22 09:09 UTC 版)

具 鎔書
各種表記
ハングル 구용서
漢字 具 鎔書
発音: ク・ヨンソ
日本語読み: ぐ ようしょ
各種表記(創氏改名・通名)
漢字 具原 一郞
日本語読み: くはら いちろう
テンプレートを表示

具 鎔書(ク・ヨンソ、朝鮮語: 구용서1899年10月21日 - 1984年4月24日)は、大韓民国中央銀行家政治家韓国銀行総裁や、韓国産業銀行総裁、大韓民国商工部長官を務めた。

本貫昌原具氏朝鮮語版[1]。日本名具原 一郞[2]

人物

釜山府出身[2]。父は乙未事変に加担したとして逮捕状が出るなど混乱の渦中にあり、禹範善の子である禹長春や、李容九の子、宋秉畯の孫といった親日派の子女6名で、日本人の酒井姉妹の下で、父から離れて日本で育てられた[2]

日本人のために作られた京城中学校に通い、1922年東京商科大学(のちの一橋大学予科修了。1925年同大学卒業、朝鮮銀行入行[3]。同期50人のうち具が唯一の朝鮮人であり、東京支店に配属となったが、給料昇進、配属などでは差別を受けた[2]

1942年には朝鮮人としては初となる支店長に昇格し、麗水支店長を務めたが、太平洋戦争開戦直後の警戒感の中、トラブルに巻き込まれ、大阪支店西区出張所へ左遷され、大阪で日本の降伏を迎える[2]

1945年には日本人が去った朝鮮銀行において副総裁に昇格し[4]、大学の後輩にあたる白斗鎮を呼び寄せた[2]。1950年初代韓国銀行総裁。1953年大韓石炭公社英語版総裁。1954年初代韓国産業銀行総裁。1958年大韓民国商工部長官[3][4]

親族

父は元京城府警務長の具然寿朝鮮語版[2][5]。妻は伯爵宋秉畯の孫娘[2]

関連人物

脚注

公職
先代
(初代)
韓国銀行総裁
初代:1950 - 1951
次代
金裕澤
先代
金一煥
大韓民国商工部長官
第10代:1958 - 1960
次代
金永燦



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  具鎔書のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「具鎔書」の関連用語

具鎔書のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



具鎔書のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの具鎔書 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS