六所宝塔
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 06:10 UTC 版)
最澄は天台法華宗を広めるために六所宝塔を建立する計画を立てる。六所宝塔とは『比叡山僧塔院等之記』に記される全国6箇所に法華経一千部を安置するための宝塔である。『叡山大師伝』によると、最澄は弘仁5年(814年)春に宇佐八幡と香春神宮寺に参詣し、入唐の無事に感謝し妙法蓮華経等を奉納。続いて弘仁8年(817年)春に東国へ向かう。この旅では最澄が無名の頃に写経に助力した道忠の弟子らの寺々を訪問する。同年3月6日には大慈寺にて円仁と徳円に菩薩戒を授け、5月15日には緑野寺にて円澄と広智に両部灌頂を授けている。またこの際にも法華大乗経二千部を写して宝塔に安置したと記されている。六所宝塔が全て完成するのは最澄の没後である。
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