八幡_(江別市)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 八幡_(江別市)の意味・解説 

八幡 (江別市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/29 18:04 UTC 版)

日本 > 北海道 > 江別市 > 八幡
八幡
八幡神社
八幡の位置
北緯43度09分35.2秒 東経141度29分3.4秒 / 北緯43.159778度 東経141.484278度 / 43.159778; 141.484278
日本
都道府県 北海道
市町村 江別市
開基 1895年(明治28年)
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
067-0054

八幡(やはた)は北海道江別市にある地名。

地名の由来

一帯はもともと3つに分かれていた。

下当別太
石狩川を西端として、東は19線まで[1]
上当別太
19線から22線まで[1]
浦篠津
22線から33線まで[1]
新潟県三島郡浦村にゆかりの人物が多かったため名づけられた[2]

1935年(昭和10年)、江別町の字名改正に際して上記の3地区がまとめられ、いずれも八幡神氏神として祀っていることから、八幡の名がつけられた[1]

歴史

石狩川当別川の合流点付近であるこの一帯は、古くから好漁場として知られていた[1]1874年(明治7年)ころから石狩の漁師である岡本久兵衛が、サケマスの漁期になると通い漁を行い、2 - 3年のうちに定住したという[2]。また同時期には、下当別太の泉良吉が上当別太に漁場を有していたとの記録も残っている[2]

1881年(明治14年)7月、屯田兵の入地にあたり篠津村が開かれる[2]1886年(明治19年)で江別・野幌・篠津の3兵村への入地が完了し、下当別太は篠津兵村の、上当別太は野幌兵村の、それぞれ公有地となる[2]1894年(明治27年)に兵村地域の測量が終結し、残った土地への一般入植がはじまったほか、後には兵村公有地も貸与や売却の対象となった[2]

1895年(明治28年)、西脇善太郎・武田石太郎・武田高藏・松下伝八らによって一帯の開拓が始まる[1]

1906年(明治39年)4月、江別・野幌・篠津の3兵村が合併して、新しい江別村となる[2]

1933年(昭和8年)9月、篠津小学校浦篠津分教場が開設される[2]

1935年(昭和10年)2月、字名改正により一帯の名が八幡となる[2]

2002年(平成14年)、江別市環境クリーンセンター稼働開始[3]

ギャラリー

脚注

  1. ^ a b c d e f 百二十周年 2016, p. 3.
  2. ^ a b c d e f g h i 百周年 1996, 西脇寅一郎「八幡開基百年に寄す」
  3. ^ 青木 2008.

参考資料

  • 『八幡開基百周年記念誌』江別市八幡自治会、1996年3月。 
  • 『八幡開基百二十周年記念誌 二十年(平成八年〜同二十七年)のあゆみ』江別市八幡自治会、2016年3月。 
  • 青木由直「69 江別市環境クリーンセンター(江別市八幡)」『江別・北広島秘境100選』共同文化社〈都市秘境シリーズ〉、2008年12月1日。ISBN 978-4-87739-151-5 



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  八幡_(江別市)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「八幡_(江別市)」の関連用語

1
36% |||||

八幡_(江別市)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



八幡_(江別市)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの八幡 (江別市) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS