八幡荘 (上野国)とは? わかりやすく解説

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八幡荘 (上野国)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/02 16:29 UTC 版)

八幡荘(はちまんのしょう/やはたのしょう)は、上野国碓氷郡(現在の群馬県高崎市八幡(やわた)町安中市板鼻付近)にあった荘園。古代より信濃国と結ぶ東山道中山道)の要所に位置する(上野国国府から西南西へ10km)。

平安時代中期、源頼信上野介任官時に摂関家領として立券され、上野國一社八幡宮を勧請したことが名の由来である。河内源氏の関東進出の基となった。荘内の山名郷(多胡郡)は南八幡(現在の高崎市山名町)付近にあった。

平安時代後期以降

八幡荘は、源頼信以降、頼義-義家-義国河内源氏重代の拠点であり、源義重が相続したことで[1]新田荘とともに新田氏の根拠地となった[2]

新田氏一族の里見氏山名氏は八幡荘内の里見郷、山名郷よりそれぞれ発祥し、また、義重の猶子で娘婿の矢田義清の所領の矢田郷も荘内に存在する。

新田義貞鎌倉幕府打倒の兵を挙げた際も、一旦この地に入って信濃や越後の味方と合流した。

南北朝時代以降

南北朝の内乱の中で上杉氏が八幡荘を奪って守護領[3]に編入[4]し、以降守護・上杉氏の上野国経営の中心となった。

戦国時代後期に入ると、武田氏が侵入して同地を支配している。

脚注

  1. ^ 久保田順一『中世武士選書18 新田義重 北関東の治承・寿永内乱』戎光祥出版 2013年11月1日 ISBN 978-4-86403-094-6
  2. ^ 田中大喜「中世前期上野新田氏論」 田中 編著『シリーズ・中世関東武士の研究 第三巻 上野新田氏』(戒光祥出版、2011年)ISBN 978-4-86403-034-2
  3. ^ 建武4年11月2日付「高師直奉書」『上杉家文書』
  4. ^ 『日本歴史地名大系10 群馬県の地名』「板鼻宿」(平凡社、1987年) ISBN 978-4-582-49010-7 P230-232

参考文献

関連項目




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