八幡山古郭とは? わかりやすく解説

八幡山古郭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/06 02:26 UTC 版)

小田原城」の記事における「八幡山古郭」の解説

平地部対す詰城に当たる。小田原合戦において、北条氏政がここに陣を置いたとされる大森氏時代からの本来の小田原城とも言われるが、異説もありはっきりしない。東から順に、東曲輪本曲輪、西曲輪藤原平、毒平と連なる連郭式構造本曲輪南側南曲輪、西曲輪北側鍛冶曲輪を置き、守り固めている。現在、大半宅地化。東曲輪一部史跡公園となったが、本曲輪とその北側、及び南曲輪は住宅地である。西曲輪藤原平は現在の小田原高校で、鍛冶曲輪庭球場、毒平は貯水池及び城山公園となっている。往時面影はほとんど残っていない。

※この「八幡山古郭」の解説は、「小田原城」の解説の一部です。
「八幡山古郭」を含む「小田原城」の記事については、「小田原城」の概要を参照ください。

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