光徳院 (中野区)とは? わかりやすく解説

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光徳院 (中野区)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/02/21 02:51 UTC 版)

光徳院
所在地 東京都中野区上高田5-18-3
位置 北緯35度43分06.4秒 東経139度40分36.1秒 / 北緯35.718444度 東経139.676694度 / 35.718444; 139.676694座標: 北緯35度43分06.4秒 東経139度40分36.1秒 / 北緯35.718444度 東経139.676694度 / 35.718444; 139.676694
山号 七星山
院号 光徳院
宗派 真言宗豊山派
本尊 大日如来
創建年 不詳
開山 亮珍和尚
札所等 御府内八十八ヶ所霊場58番札所、山の手三十三観音霊場22番札所
公式サイト 真言宗豊山派光徳院
法人番号 1011205000246
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光徳院(こうとくいん)は、東京都中野区にある真言宗豊山派寺院

歴史

創建年代は不明であるが、亮珍和尚によって開山された。元々は現在の半蔵門の付近に位置していたが、江戸城拡張工事に伴い市ヶ谷田町、そして牛込柳町に移り、1910年(明治43年)に現在地に移転した[1]

1995年平成7年)には、木造瓦葺きの五重塔が建立されている[2]

千手観世音

当院には、寺宝として千手観世音像がある。菅原道真昌泰の変大宰府に左遷された折に自ら刻んだものという[1]

道真の死後、筑前国(現・福岡県)の千手坊に安置してあったが、江戸時代初期に福井藩藩主松平忠昌が引き取り、子の仙菊丸(後の松平昌勝)の守護本尊とした[1]

その後は宝仙寺第14世住職秀雄法印が預かることになった。秀雄法印が当院に移った際、この千手観世音も一緒に移し、一般人も参拝できるようにした[1]

交通アクセス

脚注

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  1. ^ a b c d 中野佛教連合会 編『中野区寺院案内』中野佛教連合会、1983年、44p
  2. ^ 光徳院について光徳院

参考文献

  • 中野佛教連合会 編『中野区寺院案内』中野佛教連合会、1983年

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