偽書『江源武鑑』の影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 04:29 UTC 版)
江戸時代に沢田源内が書いた偽書『江源武鑑』や系図類では、定頼の系統は六角氏庶家の箕作氏で陣代にすぎず、氏綱(定頼の兄)の子・義実の系統が嫡流であるとしている。豊臣秀吉が氏綱の子・義秀に仕えて偏諱を受けたことや、氏綱の子・義郷が豊臣姓と侍従の官を授かり12万石の大名となり、豊臣秀次に連座して改易となったとされている。この書は偽書ではあったが、『寛政重修諸家譜』の山岡氏系図や、民間の史書に引用された。佐々木哲など一部の在野歴史家はこの六角氏綱(六角定頼の兄)の子孫が実在したとする立場をとっているが、研究者には偽書と見られている。 村井祐樹は六角氏綱の七回忌や十三回忌の施主がいずれも定頼であることから氏綱の子孫はいなかったとしている。
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