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倉田紘文

倉田紘文の俳句

現れてより立ち通し曼珠沙華
秋の灯にひらがなばかり母の文
秋の灯にひらがなばかり母へ文
風花のおしもどされて漂へり
 

倉田紘文

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/09 01:16 UTC 版)

倉田 紘文(くらた こうぶん、本名:ひろふみ、1940年1月5日 - 2014年6月11日)は、日本の俳人別府大学名誉教授。専門は国文学大分県出身。

生涯

杵築市山香町生、大分大学学芸学部技術科卒。父が中塚一碧楼に師事した俳人であったため、幼少期から俳句に親しむ[1]。1959年、19歳のときに、耶馬渓で行われた「芹」九州俳句大会にて高野素十に出会い師事、「芹」に入会。1972年、素十の勧めにより32歳で「蕗」を創刊、主宰。1983年、別府大学教授(国文学)に就任。のちに名誉教授。1978年より『大分合同新聞』俳壇選者。1992年より『山陽新聞』俳壇選者。1998年よりNHK俳壇主宰・選者、およびBS俳句王国主宰。

代表句に「秋の灯にひらがなばかり母の文」「蛍待つ闇を大きく闇つつむ」などがある[2]。素十の教えを貫き、平明でありつつ詩情のある写生句を作った[1]。1993年大分合同新聞文化賞、1999年第39回久留島武彦文化賞、2001年ゴールドベルグ大芸術家賞受賞。日本文芸家協会会員、俳文学会会員、日本詩歌文学館評議員、俳人協会理事、国際俳句交流協会評議員。

2014年6月11日、大腸癌により別府市の自宅にて死去。74歳没[3]

著書

句集

  • 『慈父悲母』 木耳社、1976年
  • 『光陰』 牧羊社、1983年
  • 『無量』 富士見書房、1989年
  • 『帰郷』 牧羊社、1993年
  • 『都忘れ』 朝日新聞社、1997年
  • 『水輪』 角川書店、2006年
  • 『倉田紘文集 (自解100句選)』 牧羊社、1987年
  • 『倉田紘文―花神 俳句館』 花神社、1995年

評論、随筆など

  • 高野素十研究』 永田書房、1979年
  • 『高野素十『初鴉』全評釈』 文学の森、2011年
  • 『至福の俳句 これから俳句を始める人に』 ウエップ、2011年

編著

  • 『高野素十の世界』 梅里書房、1989年
  • 『高野素十 (蝸牛俳句文庫) 』 蝸牛社、1987年
  • 『死 (秀句350選) 』 蝸牛社、1989年
  • 『空―高野素十句集』 ふらんす堂、1993年

脚注

  1. ^ a b 『現代俳句大事典』 三省堂、2005年、206頁。
  2. ^ 金子兜太編 『現代の俳人101』 新書館、2004年、173頁。
  3. ^ 倉田紘文氏が死去 俳人: 日本経済新聞

外部リンク

     



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