倉橋泰顕とは? わかりやすく解説

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倉橋泰顕

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/09 07:10 UTC 版)

倉橋泰顕(くらはし やすてる、天保6年7月29日1835年8月23日) - 明治43年(1910年8月19日[1])は、幕末から明治時代にかけての公卿華族子爵)。

安政5年(1858年)、日米修好通商条約締結に反対し、父の倉橋泰聡とともに廷臣八十八卿列参事件に参加した。明治維新後は殿掌に任ぜられ、子爵に列する。

官歴

系譜

  • 父:倉橋泰聡
  • 妻:菊山(賀川慎吾の娘)
  • 子:倉橋季丸
  • 子:倉橋泰隆
  • 子:倉橋泰量
  • 子:岡崎泰光(岡崎国良の養子)
  • 養子(実弟):倉橋泰清
  • 娘:満子(清棲家教の妻)

脚注

  1. ^ 『官報』第8151号、1910年8月22日。
  2. ^ 『官報』第308号「叙任」1884年7月9日。
  3. ^ 『官報』第4200号「叙任及辞令」、1897年7月3日。
  4. ^ 『官報』第8150号「叙任及辞令」、1910年8月20日。

出典

  • 坂本武雄『公卿辞典』七丈書院、1944年。 
  • 黒板勝美『公卿補任』吉川弘文館、2000年。 
日本の爵位
先代
叙爵
子爵
倉橋家初代
1884年 - 1910年
次代
倉橋泰昌



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