保手浜弘規とは? わかりやすく解説

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保手浜弘規

(保手浜忠弘 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/16 13:44 UTC 版)

ほてはま ひろき

保手浜 弘規
生誕 1930年12月15日[1][2]
日本 東京都[1][3]
死没 2011年12月(80歳没)[4]
別名 保手浜 忠弘(ほてはま ただひろ)
出身校 早稲田大学社会科学部[1]
職業
肩書き
  • 株式会社城南製作所 元代表取締役社長[5]
  • 株式会社保手浜精器製作所 元副社長[3]
  • 一般社団法人東京馬主協会 第9代会長[6]
配偶者 保手浜 慎子[1]
子供
  • 保手浜 裕和(長男)[1]
  • 保手浜 正規(次男)[1]
  • 保手浜 敬三(三男)[1]
親戚
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保手浜 弘規(ほてはま ひろき、1930年12月15日[1][2] - 2011年12月[4])は、日本実業家馬主

精密プレス加工金型の製作などを手掛ける、株式会社城南製作所の代表取締役社長を務めていた。

経歴

1930年東京都出身[1]愛媛県三島町大三島町の誤記か[注釈 2])を故郷としている記載もある[8]。本名は「保手浜弘規」だが、のちに「忠弘」へ改名している[4]日本中央競馬会馬主登録は本名)。1953年早稲田大学社会科学部を卒業[1]。一時は銀行に勤めていたが、父が倒れたことで実家の保手浜精器製作所に入社[3]1960年に同社常務となる[1]。その後独立し[3]1961年に城南製作所、1962年に城南商事を設立し代表取締役を務めた[1]

2011年12月8日までに死去していたことが馬主である西山茂行により明かされた[4]。80歳没。

馬主活動

保手浜の勝負服

日本中央競馬会(JRA)および地方競馬全国協会(NAR)に登録していた馬主としても知られた。冠名は中央と地方で使い分けており、前者には大山祇神社[注釈 3]に「戦いの神」が祀られていることから「カミノ」、自身のイニシャル(Tadahiro Hotehama)より「ティエッチ」、後者には大井競馬場近くの穴守稲荷によく参拝していたことから「イナリ」を用いた[8]。勝負服の柄は桃、紫袖、紫鋸歯形。地方競馬では改名後の「忠弘」の名で馬主登録しており、代表的な所有馬で大井競馬出身のイナリワンは、先述の改名を経て出会えた馬であったという[4]。また、1993年8月16日から2000年3月まで東京馬主協会会長を務めていた[6][注釈 4]

馬主となったきっかけは、独立後、仕事上での付き合いの際に馬主であった先輩から「男の道楽は競馬だよ」と言われたこと[2]。キャリア初期は所有馬についてはすべて調教師に任せていたがなかなか勝利することができず、自身でも血統などを勉強するようなってついに勝つことができたと保手浜は語っている[2]

馬主としては伊達秀和と親しかったといい、保手浜が過労で肝臓を悪くした際には共に禁煙を誓ったという[3]

朝日新聞との訴訟

2000年9月29日、『週刊朝日』において東京馬主協会会長の保手浜が場外馬券場の建設計画に絡み多額の現金を受け取ったという報道がなされた[9]。本人はこの時点で現金の収受を否定していた[9]が、のちに受け取っていたことが明らかとなっている[10]。これを報じた記事に関し、保手浜は朝日新聞社を相手に名誉棄損として訴えを起こした[10]2002年5月13日東京地裁は「疑惑」という言葉の多用に対し名誉棄損を認め220万円の支払いを朝日新聞社に命じたが、同社は控訴[10]2003年1月29日東京高裁の判決では、地裁の判決から一転し記事の表現は不法行為にあたらないとして一審判決を取り消し・保手浜の請求を棄却した[11]

主な所有馬

GⅠ級競走優勝馬

重賞競走優勝馬

脚注

注釈

  1. ^ 『会員名簿』昭和43・44年用(蔵前工業会)によれば、保手浜正康(旧名 謙吉)とある一方、作道好男・江藤武人『静岡大学工学部50年史』(財界評論新社)によれば保手浜謙吉(旧名正康)とあり、正しい出生名がどちらかは定かでない。
  2. ^ 大山祇神社が立地しているのは宇摩郡にあった三島町ではなく、越智郡にあった大三島町。ただし、宇摩郡三島町には大山祇神社の分社であり、町名の由来ともなった三島神社 (四国中央市)が立地する
  3. ^ 保手浜と大山祇神社のゆかりに関して、「故郷(愛媛県三島町)の“戦いの神”を祭った大山祇(おおやまずみ)神社にちなんで」という記載[8]、「父君の故郷、広島大三島にある大山祇神社(オオヤマズミ)に祭られています戦さの神から」という記載[3]がある。なお、愛媛県三島町は愛媛県大三島町の誤記と考えられる。また広島県の大三島とあるが、大三島は広島県に食い込んでいるものの愛媛県であり、こちらも誤記と考えられる。
  4. ^ ただし、後述する2000年9月の現金収受に関するトラブルの際も「会長」の肩書となっており、馬主協会サイトの記載との矛盾がある。
  5. ^ 名義上は兄の正康名義となっているが、弘規との共同所有であった[3]

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l 『大衆人事録』第26版 東日本編 926頁
  2. ^ a b c d 馬券ブレイク』、クレイヴ、2007年11月、231-235頁。 
  3. ^ a b c d e f g 「河合純子の馬主さん訪問 (8)神に託す人と馬との武運長久 ゲスト 保手浜忠弘さん」『新評』第23巻第6号、新評社、1976年6月、126-129頁。 
  4. ^ a b c d e 西山茂行 (2011年12月8日). “お悔やみ申し上げます。”. 西山茂行オフィシャルブログ「西山牧場オーナーの(笑)気分」. アメーバブログ. 2024年11月21日閲覧。
  5. ^ 社団法人大森工場協会会報 第66号 2010年1月1日 (PDF)
  6. ^ a b 年表 - 当協会と東京競馬場”. 東京馬主協会. 2024年11月21日閲覧。
  7. ^ 本人のポスト”. X (2010年4月18日). 2024年11月21日閲覧。
  8. ^ a b c 横尾一彦. “中央の年度代表馬に輝いたイナリワン”. 東京シティ競馬. TCKコラム. 特別区競馬組合. 2024年11月21日閲覧。
  9. ^ a b 『週刊朝日』200年9月29日号「東京馬主協会長に「やめろ」コールの不徳騒動 金銭トラブル発覚」
  10. ^ a b c 「220万円支払い、朝日新聞社に命じる 「週刊朝日」記事で地裁」朝日新聞 2002年5月13日付
  11. ^ 「不法行為なし、朝日新聞社側が勝訴 週刊朝日記事で東京高裁」朝日新聞 2003年1月29日付

参考文献

  • 帝国秘密探偵社 編『大衆人事録』第26版 東日本編(帝国秘密探偵社、1968年)
  • 『馬券ブレイク!』2007年11月号(クレイヴ)
    • 「小栗範恭のオーナーズルーム 第一回 ゲスト/保手浜忠弘」
  • 『新評』第23巻第6号(新評社、1976年6月)
    • 「河合純子の馬主さん訪問 (8)神に託す人と馬との武運長久 ゲスト 保手浜忠弘さん」



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