保安警察諜報部及びSD指導者学校
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/09 17:41 UTC 版)
「親衛隊の養成機関」の記事における「保安警察諜報部及びSD指導者学校」の解説
親衛隊保安部(SD)は下級指導者の養成のため、ベルリン近郊のベルナウ(de)に「保安警察諜報部及びSD指導者学校(Sicherheitsdienstes der Sicherheitspolizei und des SD Führerschule)」を設立していた。国家保安本部(RSHA)の管理下にあり、SS士官学校の校長であるハウサーには運営の権限はなかった。 本校も他のSS養成機関をモデルに設立され、ベルリン=シャルロッテンブルク(ドイツ語版)にある「保安警察及びSD指導者学校(Führerschule der Sicherheitspolizei und des SD)」の他 「ドレーゲン(ドイツ語版)保安警察学校(Sicherheitspolizeischule Drögen)」 「SS保安部学校(Sicherheitsdienstschule)」 「保安警察及びSD通信学校(Funkschule der Sipo und des SD)」 「射撃学校(Schießschule)」 「スポーツ学校(Sportschule)」 「国境警察学校(Grenzpolizeischule)」 「保安警察及びSD全国学校(Reichsschule der Sipo und des SD)」 「 憲兵隊自動車教習所(Gendarmerie-Kraftfahrschule)」 などが設立された。 1943年4月、ネポムク(英語版)の通信学校は保安警察学校ドレーゲンに統合され、国境警察学校は閉鎖された。その人員もドレーゲン保安警察学校に移された。試験に合格した後も、これら指導者学校の生徒は警察訓練に加えて軍事技術を習得するために、武装SSの士官学校で軍事訓練を受けることが多かった。
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