伯父・大進阿闍梨の所伝も不明。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/01 15:36 UTC 版)
「日進 (身延3世)」の記事における「伯父・大進阿闍梨の所伝も不明。」の解説
曽谷教信の弟で日進の叔父に当たるという大進阿闍梨もその所伝は明らかではない。しかし日蓮が富木氏と曽谷氏に宛てた手紙の遺文には、大進阿闍梨について特に配慮ある著述がみられ、大進阿闍梨が富木・曽谷の両氏に重縁があったと推察される。日蓮が曽谷氏に宛てた弘安2年(1279年)8月17日付の手紙「曽谷殿御返事」からも日蓮が大進阿闍梨の死去を弔い曽谷氏を慰めた事が伺える。大進阿闍梨は日蓮の熱心な信者となったが、迫害が強まるにあたり日蓮に反抗。敵対して迫害の指揮を執っている最中に落馬して亡くなったとされる。
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