伊東要蔵
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伊東要蔵
いとう ようぞう
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衆議院事務局『衆議院要覧』より
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生年月日 | 1864年4月22日(元治元年3月17日) |
出生地 | ![]() (現・静岡県) |
没年月日 | 1934年5月9日(70歳没) |
出身校 | 慶應義塾卒業 |
前職 | 大阪商業講習所教頭 |
所属政党 | 立憲政友会 |
選挙区 | 静岡県郡部選挙区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1909年7月25日 - 1914年12月25日 |
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在任期間 | 1899年10月 - 1903年 |
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選挙区 | 引佐郡選挙区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1890年 - 1894年 1899年9月24日 - 1903年 |
伊東 要蔵(いとう ようぞう、1864年4月22日〈元治元年3月17日[1]〉 - 1934年〈昭和9年〉5月9日[1])は、明治期の実業家・政治家。静岡県立引佐高等学校創立者。
経歴

遠江国(静岡県)生まれ。旧姓を山田という。1879年(明治12年)に東上し、慶應義塾を卒業後、三田英学校の教師になる。1882年(明治15年)慶應義塾の教員となり、翌1883年(明治16年)に大阪商業講習所教頭となる。1890年(明治23年)から1894年(明治27年)までと、1899年(明治32年)9月24日から1903年(明治36年)まで引佐郡選出の静岡県会議員を務めた[1][2][3]。また、1899年10月から1903年まで第8代静岡県会議長を務めた[4]。1909年(明治42年)8月、第10回衆議院議員総選挙の静岡県郡部補欠選挙に出馬し衆議院議員となり[5]、第11回総選挙でも再選された[6]。
その他、浜松信用銀行、富士紡績会社の要職を経て豊国銀行発起人となる。
脚注
- ^ a b c 『静岡県議会史 第2巻 106コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『静岡県議会史 第2巻 95コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『静岡県議会史 第2巻 96コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ “歴代正副議長|静岡県公式ホームページ”. 静岡県公式ホームページ. 2024年10月23日閲覧。
- ^ 『官報』第7848号、明治42年8月21日。
- ^ 『議会制度百年史 衆議院議員名鑑 53コマ』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
参考文献
- 三田商業研究会編 編『慶應義塾出身名流列伝』実業之世界社、1909年6月、5-6頁 。(近代デジタルライブラリー)
- 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
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