伊勢貞衡とは? わかりやすく解説

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伊勢貞衡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 08:13 UTC 版)

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伊勢 貞衡
時代 安土桃山時代 - 江戸時代
生誕 慶長10年(1605年
死没 元禄2年11月7日1689年12月18日[1]
別名 兵庫、三郎、清十郎(通称)、貞輝(初名)[2]
戒名 長閑[1]
主君 豊臣秀頼徳川家光徳川家綱徳川綱吉
氏族 伊勢氏
父母 父:伊勢貞為、母:岸意憲娘[2]
兄弟 阿古御局貞衡、貞盤
貞守、娘(向井重興妻→窪田正良妻)、貞時、娘(津金胤常妻)、金三郎、貞高
養子:貞朝島津光久五男、後の島津久逵[1]
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伊勢 貞衡(いせ さだひら)は、江戸時代旗本

概要

初め豊臣秀頼に仕え、大坂の陣による大坂城落城の後、千姫の招聘により二条城に住む。その後、徳川家康が二条城を訪れた際に拝謁し、京都武者小路に宅地を与えられる。寛永14年(1637年)3月28日、従母・春日局の申し立てにより徳川家光に仕え、旗本寄合席に列する。寛永16年(1639年)9月21日、家光の長女・千代姫徳川光友に嫁いだ際には、その儀式を担当した。その後、仰せにより、騎射三物犬追物笠懸流鏑馬)などに関する家伝の書籍118巻を、息子・貞守や弟子と共に書写し、それを献じた。貞享2年(1685年)3月9日、徳川綱吉の長女・鶴姫徳川綱教に嫁いだ際にも儀式を担当し、時服と黄金を賜った[2]

元禄元年(1688年)12月9日に致仕し、元禄2年(1689年)11月7日に85歳で死去した[1]

脚注

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