仇台
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/08 04:21 UTC 版)
仇台(きゅうだい、クド、朝鮮語: 구태、生没年不詳[1])は、中国史料『北史』『隋書』に登場する百済の始祖。『三国史記』雑志・祭祀条は、「百済は、始祖である仇台廟を都城に建て、春夏秋冬毎年四回祭祀する」と伝えている[1][2]。『隋書』によると、遼東太守・公孫度の宗女(公孫度の娘とも妹とも)を娶っている[3][4]。
- ^ a b “구태 仇台,?~?”. 斗山世界大百科事典 2022年5月14日閲覧。
- ^ a b c d 藤田元春 『上代日支交通史の研究』刀江書院、1943年、66頁。
- ^ 百濟之先,出自高麗國。其國王有一侍婢,忽懷孕,王欲殺之。婢云:「有物狀如雞子,來感於我,故有娠也。」王捨之。後遂生一男,棄之廁溷,久而不死,以為神,命養之,名曰東明。及長,高麗王忌之,東明懼,逃至淹水,夫餘人共奉之。東明之後,有仇台者,篤於仁信,始立其國于帶方故地。漢遼東太守公孫度以女妻之,漸以昌盛,為東夷強國。初以百家濟海,因號百濟。歷十餘代,代臣中國,前史載之詳矣。開皇初,其王餘昌遣使貢方物,拜昌為上開府、帶方郡公、百濟王。 — 隋書、巻八十一
- ^ a b 韩国磐 (1994年). “南北朝隋唐与百济新罗的往来” (PDF). 历史研究 (厦门大学历史研究所): p. 21. オリジナルの2021年11月2日時点におけるアーカイブ。
- ^ 이홍직 『백제건국설화에 대한 재검토』〈한국고대사의 연구〉1971年、331-332頁。
- 1 仇台とは
- 2 仇台の概要
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