什宝の整理
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 15:17 UTC 版)
「片桐助作 (1851年生)」の記事における「什宝の整理」の解説
1910年(明治43年)11月から、名古屋に保管されていた尾張徳川家の什宝のうち不要のものを処分することを目的として、大曽根邸で未鑑定品を中心とした什宝の整理と目録の作成に着手し、1915(大正4)年7月までに整理を完了、作成した目録により、同年8月に今泉雄作らに什宝の品位鑑定を依頼した。 1915年、什宝整理の終了後に、御相談人を解職となり、3年後の1918年(大正7年)2月11日に死去。 片桐の死後、1921年に尾張徳川家は片桐の什宝整理の結果を基にして重複品や不要と判断した什宝(全体の10-15%)を競売で売却し、その売上金約57万円は1935年に大曽根に開設された徳川美術館の建設・維持費用に充てられた。
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