人物評・逸話
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/14 04:00 UTC 版)
職秀は武勇に優れた剛直の士であったと伝わっている。 職秀は誰にも憚ることなく諫言を行っていたことから、天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原征伐に職秀も従軍した際においても、石垣山城で能や演芸などを行って一向に攻城戦を仕掛けない秀吉に不満を持ち、能が催されている秀吉の本陣の前を通り過ぎる際に下馬するよう咎められると、「戦場で能をして遊ぶような愚かで腰抜けの大将に下馬する必要はない」と言い放ち、そのまま通り過ぎた。これに激怒した秀吉は職秀の主君・宇喜多秀家に対して職秀の処刑を命じたが、秀家が命を了承して秀吉のもとから退出したところで考え直し、秀家を呼び戻して処刑ではなく切腹に変更するよう命じた。秀家が再び秀吉のもとを退出したところを再び考え直して秀家を呼び戻し、秀吉に対しても物怖じしない剛毅な物言いをする武将を殺すには惜しいとして逆に職秀に加増するよう命じたという逸話が『名将言行録』に収録されている。
※この「人物評・逸話」の解説は、「花房職秀」の解説の一部です。
「人物評・逸話」を含む「花房職秀」の記事については、「花房職秀」の概要を参照ください。
Weblioに収録されているすべての辞書から人物評・逸話を検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
全ての辞書から人物評・逸話 を検索
- 人物評・逸話のページへのリンク