交戦と交渉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/17 15:53 UTC 版)
ディケーター戦隊はジブラルタルを出発してアルジェに向かった直後に、アルジェの旗艦であるメシュダと遭遇し、ガータ岬沖の海戦でメシュダを捕獲した。さらにそれから幾らも経たないときに、パロス岬沖の海戦でアルジェのブリッグ艦エステディオを捕獲した。6月最終週までに戦隊はアルジェ港に到着し、アルジェのパシャ(デイ)との交渉を始めた。町を破壊するという脅しを組み合わせて、これまでの損害補償をしつこく要求した結果、アルジェのパシャが条件を受け入れた。1815年7月3日、アルジェ湾のゲリエール艦上で調印された条約に従い、ディケーターは捕獲していたメシュダとエステディオを返還し、アルジェ側は約10人と推計されるアメリカ人捕虜全員を釈放し、さらにかなりの数のヨーロッパ人が、捕獲した船舶に対する1万ドルの支払と共に、パシャの臣民約500人と交換された。この条約で今後通行料を取らないことを保証し、アメリカ合衆国の完全な航行権を認めた。
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