井街清顕とは? わかりやすく解説

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井街清顕

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/25 00:37 UTC 版)

井街 清顕(いまち きよあき、1845年弘化2年) - 1901年明治34年)3月29日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍歩兵大佐。正五位勲三等旭日中綬章受章。

生涯

長門国(現・山口県)出身。藤田小平の子として生まれ、幼名を亀之助といった。文久元年に井街家の養子となり、名を清顕と改める。家禄は21石の下級藩士であったが、戊辰戦争において勲功を挙げ、維新後に草創期の陸軍士官として抜擢された[1]

明治4年(1871年)、遠藤守一乃木希典らとともに陸軍少佐に任じ、正七位に叙される[1]明治6年(1873年)に従六位となり、明治8年(1875年)には歩兵第11連隊に勤務した。明治11年(1878年1月31日勲四等を授けられる。 明治12年(1879年)には歩兵第7連隊第1大隊長に転じ、明治18年(1885年5月25日に陸軍中佐に進み、翌26日に仙台衛戍司令官に補され、7月25日正六位に叙される[1]

同年8月24日には仙台鎮台後備軍司令官となり、同年9月29日に軍法会議判士長を命ぜられる。明治19年(1886年5月29日、勲三等旭日中綬章を受章。明治21年(1888年)には仙台大隊区司令官として第2師団軍法会議判士長を兼ねた[1]明治25年(1892年3月28日従五位に叙され、明治26年(1893年10月に陸軍歩兵大佐へ昇進。のち予備役を経て、明治32年(1899年4月後備役に編入された。明治34年(1901年3月29日、病没した[1]

三女の市子は、のちに細菌学者志賀潔と結婚した [2]

脚注

参考文献

  • 『国民過去帳 明治之巻』 尚古房、1935年、624頁。
  • 『志賀潔』法政大学出版局、1957年、29頁。



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