井街清顕
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井街 清顕(いまち きよあき、1845年(弘化2年) - 1901年(明治34年)3月29日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍歩兵大佐。正五位・勲三等・旭日中綬章受章。
生涯
長門国(現・山口県)出身。藤田小平の子として生まれ、幼名を亀之助といった。文久元年に井街家の養子となり、名を清顕と改める。家禄は21石の下級藩士であったが、戊辰戦争において勲功を挙げ、維新後に草創期の陸軍士官として抜擢された[1]。
明治4年(1871年)、遠藤守一・乃木希典らとともに陸軍少佐に任じ、正七位に叙される[1]。 明治6年(1873年)に従六位となり、明治8年(1875年)には歩兵第11連隊に勤務した。明治11年(1878年)1月31日、勲四等を授けられる。 明治12年(1879年)には歩兵第7連隊第1大隊長に転じ、明治18年(1885年)5月25日に陸軍中佐に進み、翌26日に仙台衛戍司令官に補され、7月25日に正六位に叙される[1]。
同年8月24日には仙台鎮台後備軍司令官となり、同年9月29日に軍法会議判士長を命ぜられる。明治19年(1886年)5月29日、勲三等旭日中綬章を受章。明治21年(1888年)には仙台大隊区司令官として第2師団軍法会議判士長を兼ねた[1]。 明治25年(1892年)3月28日に従五位に叙され、明治26年(1893年)10月に陸軍歩兵大佐へ昇進。のち予備役を経て、明治32年(1899年)4月に後備役に編入された。明治34年(1901年)3月29日、病没した[1]。
脚注
参考文献
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