井筒屋庄兵衛
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/25 09:38 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動井筒屋庄兵衛(いづつや しょうべえ、生没年未詳)は、江戸時代の書肆。初代から5代まで続き、俳諧関連書を中心に出版活動を行った[1]。
概要
初代(1621年(元和7年)- 1709年(元和9年)か)の名は重勝[1]。松永貞徳の門人で、歳旦三つ物所として力を持ち、貞門派の俳書を出版した。延宝期には談林派の俳書を、貞享・元禄期には蕉門派の俳書を多数出版した[1]。
2代(生没年未詳)の名は重晴[1]。1696年(元禄9年)『初蝉』、宝永年間中の『大三物』に句が見られる[1]。
3代(生没年未詳)の俗称は不明[1]。元文~延享期にかけて井筒屋宇兵衛重寛と合版で出版活動を行う[1]。
4代(生年未詳 - 1760年(宝暦10年))の名は寛治、俳号麦郷観[1]。編著に『芭蕉句選拾遺』(1756年(宝暦6年))がある[1]。
5代(生没年未詳)の名は荘兵衛[1]。
井筒屋の出版活動の下限は1808年(文化5年)刊『俳諧七部集』とされる[1]。
脚注
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