五十嵐片原とは? わかりやすく解説

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五十嵐片原

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/05/14 01:11 UTC 版)

五十嵐 片原
生誕 延享3年(1746年
越後国新潟
死没 天明4年10月6日1784年11月18日
越後国新潟
墓地 新潟善導寺
教育 五十嵐浚明
代表作 『逆旅勧盃』
配偶者 谷氏

五十嵐 片原(いからし へんげん、延享3年(1746年) - 天明4年10月6日1784年11月18日))は江戸時代中期の新潟の絵師。名は元誠、字は仲勉[1]。通称は竹次郎[2]。別号は其業[3]、片言[4]五十嵐浚明の次男。

生涯

延享3年(1746年)五十嵐浚明の次男として生まれた[5]明和7年(1770年)兄五十嵐顧行が死去し[6]、家督を継いだが、間もなく弟佐野元敬に譲り[1]新潟片原通に独立した[3][7]

ある日自分の画力が父を上回ったと考え、父が描いた野馬の粉本にこっそり朱を入れたところ、数日後父に気づかれて「どうしたらこのようになるのだ。」といって消されてしまい、これを恥じて更に精進した[1]。後に京都に出て、絵師として活動した[1]

天明2年(1782年)刊『北海詩鈔三編』・『玄圃集二編』によれば南紀に旅行して熊野波田須徐福ノ宮を訪れた[8]。また、大坂の岡田南山[9]葛子琴[10]・井坂松石[11]とも交流があった。

晩年、市島岱海の兄弟に竜門の詩画を贈っている[12]天明4年(1784年)10月6日故郷に39歳で死去し、善導寺に葬られた[13]文化7年(1810年)亀田鵬斎が越後に来訪した際、墓誌が書かれた[14]天保4年(1833年)9月50回忌に当たり、善導寺に墓碑が建てられ、三浦鴎沙等に追悼詩を寄せられた[15]

絵画

作品 技法 形状・員数 寸法 (縦x横cm) 所蔵 年代 備考
賢聖図 紙本墨画 101.5x28.5 個人 亀田鵬斎[16]
袁氏別業図・尋隠之者遇意 紙本墨画淡彩 各図105.5x33.0 個人 [16]
  • 『逆旅勧盃』 - 宝暦12年(1762年)五十嵐家から三浦迂斎に贈られた画帳。第2巻に浚明題・片原画の11対が含まれる[17]
  • 聖像 - 坂口仁一郎旧蔵[18]

人物画を得意としたという[5]

浚明筆『押絵貼人物山水鳥獣屏風』の葡萄や虎、『風竹虎図』の虎、『紅梅白鷹図』の梅などは『逆旅勧盃』の片原筆のものと類似しており、片原が描いた可能性がある[19]

漢詩

  • 題漁父図「漁父不交市俗塵。迢々舟路自相分。朝来晩去何飄忽。心事江天一片雲。」[13]
  • 皓図[20]の一律「商山最高処。白髪日盤桓。履跡雲中路。棊声天外壇。風塵秦已遠。羽翼漢終安。不識歇成後。仙芝幾許餐。」[18]
  • 雀「翅翅不知短。頡頏脩竹叢。追糧無遠近。求宿又西東。緑樹林間雨。黄禾野外風。啁啾何所笑。鴻鵠在蒿蓬。」[18]
  • 山水「楼居四面好山川。無限風煙養浩然。一路遥分春澗樹。連峰高聳暮雲天。不疑仙境換凡骨。且就道入尋勝緑。指点泉源従此遡。桃花水送釣魚船。」[18]
  • 同「門外数株楊柳。北窓書巻横陳。克知名教中楽。便是羲皇上人。」[15]
  • 漁父「不向城中蹈軟塵。扁舟日趁白鴎群。朝来暮去何飄忽。心事江天一片雲。」[15]

家族

  • 父:五十嵐浚明
  • 母:伊藤氏[21]
    • 兄:五十嵐顧行(伯謹、子謹)
    • 弟:佐野元敬
    • 妹 - 同郷岩田家に嫁いだ[21]
  • 妻:谷氏[13]
    • 長男:五十嵐竹沙(主膳)
    • 次男:五十嵐主爕(泰庵)

脚注

  1. ^ a b c d 藤山 1898, p. 179.
  2. ^ 坂口 1918, p. 260.
  3. ^ a b 新潟市 1934, p. 936.
  4. ^ 横山 1984, p. 139.
  5. ^ a b 桜井 1914, p. 31.
  6. ^ 岩田 2014, p. 29.
  7. ^ 大森 2015, p. 15.
  8. ^ 杉本 2010, p. 11.
  9. ^ 杉本 2010, p. 13.
  10. ^ 杉本 2010, p. 15.
  11. ^ 杉本 2011, p. 6.
  12. ^ 杉本 2010, p. 9.
  13. ^ a b c 桜井 1914, p. 32.
  14. ^ 岩田 2014, p. 37.
  15. ^ a b c 坂口 1918, p. 262.
  16. ^ a b 開館記念3周年記念企画展 新潟・文人去来 ― 江戸時代の絵画をたのしむ ―”. 新潟市歴史博物館. 2018年5月14日閲覧。
  17. ^ 大森 2015, p. 7.
  18. ^ a b c d 坂口 1918, p. 261.
  19. ^ 大森 2015, pp. 8-9.
  20. ^ zh:商山四皓
  21. ^ a b 桜井 1914, p. 22.

参考文献




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