二次センターとしての復活とその後のメソアメリカ文化への影響
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「サン・ホセ・モゴテ」の記事における「二次センターとしての復活とその後のメソアメリカ文化への影響」の解説
モンテ=アルバンⅡ期(150B.C.~A.D.150)に、サン・ホセ・モゴテは、モンテ・アルバンの統制下にある二次センターとして復活する。70haに達するサン・ホセ・モゴテの中央広場は、神殿や宮殿、球戯場やモンテ=アルバンⅡ期に位置づけられる墓が築かれた。神殿の床面下からは、翡翠の彫像、陶製の彫像、人物や動物をかたどった香炉(effigy incence burners)、犠牲として捧げられた人骨や獣骨が発見されている。石碑3号の様式はモンテ・アルバンの「踊る人」の石彫に受け継がれていくことになり、捕虜の名前の「一の地震」は、後のミシュテカやアステカに見られるような260日暦による誕生日を名前とする習慣がこの時期にもすでにあったことを示すものと推察される。また、頭蓋変形、放血儀礼、翡翠の彫像はマヤ文明にも受け継がれたことで知られている。
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