亀崎別邸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 19:03 UTC 版)
1949年(昭和24年)3月、秋次はアメリカのプレジデント・ウィルソン号で横浜へ帰ってきた。港へは秋次の労をねぎらうため、豊田利三郎と豊田喜一郎が出迎えにきていた。秋次は先に帰国していた妻の田津が住む半田市亀崎町の別邸に向かった。 この別邸は1936年(昭和11年)に田津の希望を入れて別荘風に造られたものであった。秋次夫妻の邸は名古屋市東区主税町にあった。この邸は児玉一造、豊田利三郎の弟児玉桂三が愛知県立愛知医科大学(現:名古屋大学)の教授時代に建てたものである。桂三が名古屋を離れたため、秋次がその土地建物を譲ってもらったのである。そのためか、妻の田津は自分の希望を入れて建てられた亀崎の別邸のほうを気に入っていた。隣町の乙川に田津の実家の石川家があったことも理由だったかもしれない。 この亀崎の別邸はこの辺りでは最も高いところに建てられていた。また、当時は周りにほとんど家がなかったので、庭からは三河湾がよく見えた。 秋次は当初、名古屋の日新通商(現 豊田通商)へ出社するのに自動車を使っていた。しかし、まだこの時代、道路状況はかなり悪くかえって疲れてしまうことが多かった。そのため、武豊線で通うようになった。その後、通勤時間を考えて2年間住んだ亀崎から名古屋の邸に移った。
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