亀城公園 (刈谷市)とは? わかりやすく解説

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亀城公園 (刈谷市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/30 08:09 UTC 版)

亀城公園
Kijo Park
亀城公園と桜
2016年3月)
分類 総合公園[1]
所在地
愛知県刈谷市城町1-1-1
座標 北緯34度59分18.92秒 東経136度59分0.36秒 / 北緯34.9885889度 東経136.9834333度 / 34.9885889; 136.9834333座標: 北緯34度59分18.92秒 東経136度59分0.36秒 / 北緯34.9885889度 東経136.9834333度 / 34.9885889; 136.9834333
面積 129,000m2
開園 1937年昭和12年)4月23日[1]
設備・遊具 刈谷球場、刈谷市体育館、武道場、運動広場
駐車場 700台
公式サイト 亀城公園
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亀城公園(きじょうこうえん)は、愛知県刈谷市城町1-1-1にある公園。公園分類は総合公園。名称は刈谷城の別名(亀城)に由来する[2]

歴史

戦前

天文2年(1553年)には水野忠政刈谷城を築城した。1913年大正2年)、碧海郡刈谷町(現・刈谷市)の士族会が木造平屋建ての十朋亭を建設した[3]

1936年昭和11年)には刈谷町役場が刈谷城址を譲り受け、本丸二の丸の一部を公園化した[2]1941年(昭和16年)に太平洋戦争が開戦すると、本丸の高台が高射砲陣地として使用されて荒地となっていた。

戦後

1971年(昭和46年)春には工費2000万円が投じられ[3]、本丸跡にあたる高台一帯を回遊式日本庭園として整備した。

1971年(昭和46年)から1972年(昭和47年)には刈谷市名誉市民の石田退三(元トヨタ自動車社長)からの寄付により、老朽化が進行した十朋亭の改築が行われた[3]。1971年(昭和46年)9月6日に解体工事に着工し、鉄筋コンクリート造3階建て、延床面積308m2の施設に建て替えた[3]

2010年代以降には隅櫓石垣を復元する再整備計画がある[4]

特色

園内にはソメイヨシノが約650本植えられ、桜の名所となっている。3月下旬から4月上旬には桜まつりが開催され、5万人以上の花見客が訪れる[5]

施設

公園の周辺には刈谷市郷土資料館刈谷市立亀城小学校刈谷市城町図書館、刈谷市立刈谷幼稚園などの公共施設もある。

ギャラリー

交通アクセス

脚注

  1. ^ a b 冊子「刈谷の公園」” (PDF). 刈谷市. 2017年2月26日閲覧。
  2. ^ a b 水野氏の居城跡 亀城公園”. 刈谷市観光協会. 2015年3月21日閲覧。
  3. ^ a b c d 「市民いこいの場に 刈谷市亀城公園の十朋亭 トヨタ・石田さんの寄付で改築工事はじまる」『中日新聞』1971年9月7日、三河版
  4. ^ 刈谷市 『亀城公園』を再整備」『読売新聞』2010年4月28日
  5. ^ 刈谷の桜まつり(西の名所、亀城公園) 刈谷市観光協会

外部リンク




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