乳井建定とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 乳井建定の意味・解説 

乳井建定

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/05 06:14 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
 
乳井建定
時代 江戸時代前期
生誕 不明
死没 不明
別名 美作
主君 津軽信義
陸奥弘前藩
氏族 乳井氏
父母 乳井建清
兄弟 日向守、建定、建吉
津軽信政長女・富
テンプレートを表示

乳井 建定(にゅうい たてさだ)は、江戸時代前期の弘前藩家老

略歴

津軽統一の功臣乳井建清の子として誕生。3000石を食み、津軽姓を許され、家老となる。

寛永10年(1633年)、津軽信義に召し抱えられた新参者の船橋長真に不満を示し、お役御免となった。その後も家老・乾安儔と船橋長真が結託し、悪政を行っていることに不満を持っていたが、服部康成に諌められ、行動を控えていた。翌11年(1634年)7月に信義に従い、3代将軍徳川家光の上洛の伴をした。翌月、江戸に戻ると譜代の家臣兼平信孝らと共に、船橋長真の放逐を求めた(船橋騒動)。

寛永13年(1636年)、江戸幕府より喧嘩両成敗の裁決が下った。そして、建定は兼平信孝と共に長府毛利秀元、乾安儔と船橋長真は伊予松山松平定行の許にお預けとなった。この騒動で服部康成の子・成昌が加賀藩前田氏に仕官するなど、多くの譜代の家臣が津軽氏の許を離れた。

その後、建定は長門で死去。乳井氏は弟・建吉が継ぎ、子孫に乳井貢などを輩出した。

参考文献

  • 「青森県人名大事典」1969年、東奥日報社



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「乳井建定」の関連用語

乳井建定のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



乳井建定のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの乳井建定 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS