船橋長真とは? わかりやすく解説

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船橋長真

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/05/18 10:00 UTC 版)

 
船橋 長真
時代 安土桃山時代江戸時代
生誕 不詳
死没 承応元年6月12日1652年7月17日
主君 宇喜多秀家津軽信枚津軽信義
氏族 笠原氏
父母 笠原皆元
船橋長仍

船橋 長真(ふなばし ながざね)は、江戸時代前期の弘前藩の武士。

生涯

元は笠原氏で、宇喜多秀家に仕えていた。関ヶ原の戦いの後、常陸国船橋村に居住し、以降、船橋姓を名乗った。後に津軽信枚に300石で仕えた。大館にいて、津軽信義には幼少の頃から仕え、後さらに600石を加増された。寛永8年(1631年)信義が藩主となり、同10年(1633年)10月津軽へ帰国した。その時に供をしたが、高杉村まで迎えに来た国許の家臣に対し、下馬もせず、挨拶もなく、彼らの怒りを買った。同11年(1634年)7月、将軍徳川家光の上洛に信義が供した際の帰路、家臣たちの不満が爆発した。多くの重臣たちが長真の罷免を求め、町屋に立てこもった(船橋騒動)。この事件により、寛永13年(1636年)、伊予松山松平定行の元に、息子の長仍とともにお預けになった。

長仍の子の勝之助は幼少であるため赦免され、母方の祖母に養育された。正保3年(1646年)に信義の小姓として召しだされ、笠原八郎兵衛皆定と名乗った。

子孫は笠原氏として、弘前藩に仕えた。

参考文献

  • 「青森県人名大事典」1969年、東奥日報社



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