主客戸統計
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 18:02 UTC 版)
史料による数値の誤差が大きいため、地域ごとの客戸の主戸に対する比率の比較は困難だが、労働集約農業が定着し小規模水田の家族経営が主流となっていた江南東路地方では著しく低く、山岳地帯の夔州路で著しく高い傾向にあった。夔州路の比率の高さは、農業適地が乏しく生産性の著しく低い夔州路では律令に反してもなお農奴制が広く残存したためである。 また、時間的経過による推移を見た場合、客戸比率は低下してゆく傾向にあった。客戸/主戸の比率は、宋初は4割弱だが、年々低下して熙寧5年(1072年)に最も低い3割となって以降は33%前後を推移し、華北を失陥した南宋代には上昇した。
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