中野・井上のゴールデンコンビ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/18 02:43 UTC 版)
「緒方浩一」の記事における「中野・井上のゴールデンコンビ」の解説
とりわけ、地元・九州地区で開催される競輪祭において、1980年から1985年までの6年間、中野と井上の2人だけでタイトルを「防衛」し続けたが、その間、北村徹や佐々木昭彦といった、当時の43期生の若手選手に中野、井上の「犠牲役」を演じさせ、さらに自身を含めた中堅クラスの選手が中野らと同乗する機会があれば、その後ろを固めて、徹底的に2人を援護するといった形を取らせた。したがって山口国男が後にフラワーラインの一員に対して順番にタイトルを取らせるといった画策をするようになったのに対し、緒方は自身を含め、その他の九州の選手たちを、中野、井上の黒子に徹しさせ続けた。 そのため、緒方自身はとうとうGIタイトルを掴めぬまま引退することになったが、上述の山口国男が画策した「タイトルたらいまわし策」が後に競輪マスコミ、ファンの批判の矢面に立たされていき、ひいてはフラワーラインそのものが瓦解を余儀なくされることになる一方で、九州軍団については中野、井上がトップクラスの地位を維持する限り生き延び続けた。 しかし、1990年に65期の吉岡稔真という、超大型新人がデビューするようになると、鉄の結束を続けてきた九州軍団にも微妙な変化が現れるようになった。
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