中日ドラゴンズの名付け親
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 07:34 UTC 版)
「杉山虎之助」の記事における「中日ドラゴンズの名付け親」の解説
杉山は1946年(昭和21年)から1949年(昭和24年)まで、中部日本新聞社長と中日ドラゴンズのオーナーを兼務していた。 新愛知新聞社傘下で発足した職業野球チームの名古屋軍→産業軍は戦中戦後に新愛知創業家の大島一郎が自己資金を投じて組織を維持していたが、戦後にリーグ戦が再開されるに当たって新愛知の後身となる中部日本新聞社が球団経営に復帰する。旧新愛知出身の杉山が中部日本球団のオーナーを兼務していた1947年(昭和22年)のシーズン開幕前、各球団はメジャーリーグに倣って愛称を付けることになったが、球団OBの杉下茂によれば杉山は最初に自分の名前「虎之助」から「タイガース」と言う名称を社内で提案した。しかしながら「その名称は阪神が戦前から使用している」として却下されたため、第二案として自身が「明治37年の辰年生まれだから」と言う理由で「ドラゴンズ」を提示し、この名称が採用されて現在に至っている。
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