中川茂一とは? わかりやすく解説

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中川茂一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/25 23:49 UTC 版)

中川 茂一(なかがわ しげかず、1937年9月6日[1] - 2010年4月3日[2])は、大阪市西淀川区出身の元競輪選手日本競輪選手会大阪支部に在籍していた。

日本競輪学校第79期生の中川大祐1973年10月25日 - 2012年5月30日)は実子[3]

経歴

大阪商業高等学校出身。

日本競輪学校第14期生。同期に寺澤節男松本秀人らがいる。

1960年8月19日宇都宮競輪場でデビューし1着、及び同開催の完全優勝を記録。

1969年秩父宮妃賜杯競輪西武園競輪場)において優勝。なお、同大会の決勝戦は万車券決着となった。また中川のこの優勝から、45年後の2014年稲川翔高松宮記念杯競輪(宇都宮競輪場)で優勝するまで、GI相当大会で、大阪支部所属の選手が優勝することはなかった。

強引ともいうべき競りをモットーとした強気な競走スタイルであるがゆえに、鎖骨骨折例が多く、競走生活の晩年は、鎖骨が離れたままレースに挑んでいたという[4]。ゆえに生涯戦績のうち、落車棄権36回、失格は74回にも及んだが、現役引退後に手術を受け、鎖骨は元通りに回復したという。

1999年7月29日選手登録削除。通算戦績3041戦492勝。

脚注

  1. ^ 立川競輪フリーペーパー とらいふぇくた 2009年6月号
  2. ^ うつ病ナース ぼちぼち奮闘記 - 2010年4月3日付
  3. ^ 中川大祐君に合掌 - 我が道・輪が道・一本道・自転車道 2012年5月31日付
  4. ^ 田中鍼灸整骨院2010年4月11日付記事

関連図書

外部リンク


先代
高原永伍
秩父宮妃賜杯競輪優勝者
1969年
次代
福島正幸



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