中央工芸美術学院時代
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「清華大学美術学院」の記事における「中央工芸美術学院時代」の解説
1956年5月21日、国務院の認可のもと、中央工芸美術学院が創立される。初期のスタッフは、中央美術学院華東分院の実用美術学科、中央美術学院の実用美術学科、清華大学の建築学科などから引き抜いた。 1956年11月1日、創立式典が開催される。テキスタイルデザイン、陶芸、装飾デザインの三学科と、研究所・研究室が設置される。北京市媽閣廟白堆子に校舎を置く。 1957年、朝陽区東三環中路34号に移転する。文化部の管轄下に入る。 1957年、インテリアデザイン学科が加わる。 1961年、文化学院の印刷工芸学科が中央工芸美術学院に吸収される。 1977年、文化革命後、初めての学生が入学する。 1980年、中央工芸美術学院デザインセンターを設置する(後に「環境芸術研究デザインセンター)に改称する)。 1980年、ファッションデザイン専攻が加わる。 1983年、工芸美術史学科が加わり、国内唯一の博士課程プログラムとなる。 1984年、インダストリアルデザイン学科とファッションデザイン学科が加わる。 1998年9月、北京市の管轄下に入る。
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