不吉な予兆
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/18 19:05 UTC 版)
321年夏、前趙の支配下にあった長安南の終南山が崩落した。長安の人である劉終は山の崩れた箇所から1尺四方の白玉を見つけ、白玉には文字が刻まれており「皇亡,皇亡,敗趙昌。井水竭,構五梁,咢酉小衰困囂喪。嗚呼!嗚呼!赤牛奮靷其盡乎!」とあった。これを聞いた劉曜や群臣らは、白玉の文字は石勒の滅亡を示していると思い喜んだが、中書監の劉均は「これは前趙の皇室が敗れて将は殺され、国家は滅亡するという戒めの言葉です。陛下は徳を修める事に努め、、白玉の災いを払わなければなりません」と進言した。群臣は劉均が狂言盲説で吉兆を曲解したとして不敬だと非難したが、劉曜は「この災瑞は、誠に知ることが出来なかった。深く朕の不徳を戒めるものである。朕はその多大なる忠恵を収める。どうして罪に問えようか」として劉均を罪に問わなかった。
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